ハリケーン・オードリー [1957年] (Hurricane Audrey [1957])

ホリービーチは、このハリケーンでも被害を受けています。1957年、ハリケーン・オードリーは地元のニュースが住民に避難勧告を通達するに、住民の不意を突いて夜のうちにホリービーチを襲いました。500人の命が失われました。

大変な事態だってことは分りました。

車で逃げるには遅すぎました。出る道と入る道が1本ずつしかないんです。

水がすごい勢いでどんどん来ました。水かさは上がる一方です。そして、水の壁が迫ってきました。飲み込まれた杭や電柱やゴミなど、すべてがその中で渦巻いていました。

僕たちの親戚の一人は窓枠につかまって命拾いしました。窓枠につかまったまま彼女は自宅から15マイルも流された先で救助されたのです。

洪水が病院を襲い、建物は浮いたまま南から北に向かって流れていきました。そして、それは堤防の辺りまで来ましたが、僕たちはただ見ているしかありませんでした。ただ、ただ祈るしかなかったのです。

当時ティーンエイジャーだった私にとって、あれは忘れられないくらい大きな精神的ショックを受けた出来事でした。父と私はマックニーズに行きました。そこに被災者たちが集まっていたのです。裸足で一人呆然と立っている男性に父が気付きました。彼は何とか、自分自身と妻、そして孫娘を小さなボートに乗せることができたようです。しかし、風に煽られてボートが転覆してしまいました。それが、彼が妻と孫娘を見た最後だったようです。ですから、現在、ハイテクの事前警報システムができたことを非常に喜んでいます。

ハリケーン・オードリーの悲劇に小さな希望の光を見出そうとするならば、それはハリケーン予報が改善されたことが挙げられます。正確な事前警告により十分な避難時間が得られるようになりました。